実は

2010年12月28日 日常
ちょっと、湿っぽい話になるので、苦手な方は回れ右したほうが
いいかもです。。





12月27日は、おかんの命日でした。。
まだといえばまだなのですが、もうといったらもう一年も
経ってしまったわけですね。早い早い。

去年の今頃何やってるかなと思い出すと、仮通夜してました。
おかんの亡骸が入院先の病院から自宅に帰ってきて、
ちょうど父親は風邪を引いてしまって。
他には、おいらしかいないという淋しいものでした。
まあ、県内にいる親戚といったら、姉の旦那の実家しかいない
から、しょうがないんですけど。

両親の兄姉は、みな県外で。
父方は青森が実家で、運悪く、その年の10月に祖母が亡くなり。
母方は九州ということで、すぐに駆けつけられないので、
風邪+ショックでかなり落ち込んでたと思います。

それにその日はすごく寒くて。
今日は去年よりも温かいですね。。

おいらといえば、今にもおかんが起き上がってきそうな
感じがしてました。でも肌に触ると、冷たくなってて。
それで、亡くなったのだと自覚したと思います。

両親の兄弟親戚が駆けつけてくれて、お通夜とお葬式しました。
そいや、本通夜が終わった後。
会場を借りて、お通夜をやったその夜に、そこにみんなで
泊まったんだけど、そのときに思い出したことがありました。
本当は、気管切開をするためだけに入院するつもりでした。
その時に、うちの母親が
「もう、おうちに帰って来れないかもしれない」
って言ったんです。もちろん、そんなことはないから、
その時は大丈夫だとなだめたんですけど。
結果的には、その数日後に心肺停止になり、辛うじて命は取り
留めたものの、2つの病院に転院しつつ、自宅に帰ることが
できなかったわけです。

あの母親の言葉を通夜の夜まで、ずっと忘れてまして。
すごく自分自身ショックを受けました。

発病してから、9年・・・そのうちの4年は寝たきりになって
しまいました。最近は、あんなことあったねと父親と言える
ようになり、私の身体の調子もだいぶ良くなり。

やっぱり、教えてほしかったこととか、ありました。
まだ、ちょっとうまくいえないけど、最期の言葉が
聞きたかったですね。聞くこともできずに、この世を
旅立ってしまったので。

最後まで、読んでくださった方ありがとうございます。
実はこのブログですが、難病の進行性核上性麻痺にかかった
母の介護生活を綴ったブログから、始まりました。
途中、ブログの更新が中断したりしてます。
たぶん、その頃から母親を在宅で介護し始めた頃だったと
思います。本当に在宅介護することの大変さを身をもって
体験してきましたが、家族ですべてをできるわけでもないことを
知ってほしいです。

母親の場合は、胃ろうと吸引という医療行為があったために、
介護ヘルパーを利用することを躊躇っていました。
その反面、家族ですべてをまかなうことは無理だと感じ、
利用できる限りの福祉サービスや公的な補助・・・母親の病気が特定疾患に指定されていたので、その申請と身体障害者手帳の
申請、介護保険を利用し、介護タクシーや訪問入浴、他には、
訪問看護、かかりつけの医師による訪問などを利用して
いました。あ、身障者向けデイサービスも利用してました。。

でも、それでも足りないと思っています。
一番足りないのは、介護者へのフォローなんですが、これがありません。一番あって然るべきなのに、全くないのです。

あげくの果てに、すぐ転院しろ、自宅でどうにか介護・・・
看護できないかというのは、かなり酷なことを言っているなと
思いました。現に、2回目の転院の時には、うちの母親は、
更に医療行為が気管切開と導尿、酸素吸入が増えてました。
これで、在宅介護できるかと思うわけもないのです。

ああ、もう何書いてるかわからなくなってきましたが。。
子育て支援よりも、福祉のほうに力を入れてくれたらいいのにと
民主党に言いたいのでした。

長々と書いてしまって、すみません。
それにここまで、読んでくださって、ありがとうございます。
今は、介護から身を引いていますが、お年寄りや身障の方を
町で見かけると、母親の姿を思い出してしまうので、自分にできることをしてあげたいなと思います。

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